日本ウォーキング協会主催
「第3回全国歴史ウォーク(小田原・小田原城)」


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スライドショウの開始
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小田原での朝マックです。ディッパーをプラスして。
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小田原城跡公園の朝です。
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梅の季節もそろそろ終わりですね。
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受付風景です。今回は手際の悪さが目立ちました。
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「ハナニラ」のようです。
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「スミレ」の花のようです。
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季節は移ろい、桜が咲き始めていました。
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さあ、今からセレモニーのスタートです。
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湘南ふじさわWK会長のご挨拶。
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檄を飛ばす女性役員さんです。声が小さくて。
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銅門をくぐっていざスタートです。
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小田原城を眺めながら歩きます。
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「報徳二宮神社」。小田原の偉人「二宮尊徳」翁をお祀りした神社です。
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小田原駅前の「北条早雲」像の横を歩きます。
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まだ集団歩行の区間ですから、ご覧のような状態です。
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いきなり眼前に太平洋が。素晴らしい天気です。
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「石垣山一夜城歴史公園」まで長丁場のかなりきつい上りが続きます。
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豊臣秀吉が北条氏へ宣戦布告した小田原合戦。それに馳せ参じた「堀 秀政」。秀吉の側近です。
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同じく「伊達政宗」。合戦に加わるべきか、かなり悩んだようです。
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同じく「宇喜多秀家」。秀吉の養女を妻としています。
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同じく「徳川家康」。当初は北条氏とともに秀吉に対抗。その後秀吉と和睦し、逆に北条氏を攻めたそうな。
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同じく「羽柴秀次」。秀吉の姉の子だそうです。
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同じく「千利休」。陣中で茶会を催し、諸将の苦労を慰めたそうです。
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同じく「淀殿」。持久戦に備えて妻たちも呼び寄せられたそうです。
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そして本人「豊臣秀吉」です。自分に従わない北条氏を攻め滅ぼし関東を平定しました。
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「石垣山一夜城歴史公園」です。
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登りきったと思ったら、更に城跡への上りが。
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広々とした公園になっていました。
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箱根の「二子山」が遠望できました。
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杉木立の中を下ります。
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早川を渡り一路箱根湯元へ。
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途中の「生命の星・地球博物館」でたばこタイムです。
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道すがら「すずらんスイセン」の花が。
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「早雲寺」境内がゴール受付です。北条早雲の菩提寺です。
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しっとりとした趣の「早雲寺」でした。
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奥に見えるのが秀吉が一夜城で使ったと言われる鐘です。珍しい茅葺屋根です。
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飯尾宗祇(俳句の始祖)の句碑。「世にふるは 更に時雨の やどりかな」。
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人懐っこい猫がいました。シャイでカメラ目線をしてくれません。
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折り返し14時48分発の小田急ロマンスカーが入ってきました。
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旅の友。缶チューハイと蒲鉾です。

 暖かい朝です。雲ひとつなく晴れ渡った青空の下、参加者が続々と集まってきます。今日は日本ウォーキング協会主催の「第3回全国歴史ウオーク(小田原・小田原城)」です。

 これは全国歴史ウォーク「戦国時代を歩こう」をテーマに5年間実施されるイベントで、今回はその3回目、北条早雲以降5代100年の北条氏の拠点「小田原城」から、小田原北条氏征伐に豊臣秀吉が一夜にして築いたといわれる「石垣山一夜城歴史公園」までの16キロを歩き、「今歴史に何を学び、いかに歩くか」を実践する一味違ったウォーキングイベントです。

 9時45分から恒例のセレモニーが開催され、準備運動をして10時にスタートを切ります。参加者は推定でおおよそ500人でしょうか。小田原の住民に迷惑とならないように50人程度の小グループに分かれての集団歩行です。

 小田原城銅門を抜け小田原城を間近に眺めながら歩みを進めます。小田原出身の偉人二宮尊徳翁が祀られる「報徳二宮神社」を右手に見て「小田原駅」方面へと足を進めます。急勾配ではありませんが、だらだらと長い住宅地の中の坂を上り下りして東海道線「早川駅」方面へ抜けます。「早川駅」を過ぎ新幹線のガードをくぐると「海蔵寺」門前で集団歩行は終わります。

 ここからは自由歩行となり、目的地の「石垣山一夜城歴史公園」を一路目指しますが、ここからが大変です。舗装された道路なのですが、かなりの急勾配の上、相当の距離歩かなくてはなりません。既にジャケットは脱いでいますが、噴出す汗が目に浸みるはシャツはびしょ濡れになるはで、それはそれは誰もが相当に難儀する60分の上り坂でした。

 坂の所々には秀吉の求めに応じて小田原北条氏攻めに加わった諸大名を説明した看板が掲げてあり、正に本イベントの目的である「今歴史に何を学び、いかに歩くか」を実践できるウォーキングとなったのでした。

 「石垣山一夜城歴史公園」に到着したのが丁度お昼時。公園には二の丸跡があるだけで、他は広い芝生の公園となっているため、三々五々お弁当を広げるグループも多かったようです。私も腰を下ろし、コンビニお握りでしばしの休息を取りました。

 一夜城は、1590年(天正18年)の小田原北条氏攻めの際、豊臣秀吉が石垣山の山頂に一夜で築いたといわれる城のことで、塀や櫓(やぐら)の骨組みに紙を張って白壁に見せ、夜のうちに周囲の木々を伐採して一晩で城ができたように見せたもので、小田原北条氏の戦闘意欲を失わせる効果を果たしたそうです。実際は約80日かかって完成したそうですが。

 15分程度のお昼を済ませると腰を上げ箱根方面へと足を進めます。かなりの長丁場を上ってきたものですから脚はもうガタガタでかなり辛い後半戦となりました。案の定、箱根登山鉄道「入生田(いりうだ)」駅付近でふくらはぎの腱に異常が発生してしまいましたが、運良くトイレポイントの「地球博物館」が近くにあったので、タバコを1本燻らせながら脚をしばし休ませたのでした。

 後はゴールの「早雲寺」を目指すだけです。箱根湯元の裏通りにあるゴール受付「早雲寺」は街中の喧騒が嘘のような静かな趣のある古刹でした。「早雲寺」はその名の通り北条早雲の菩提寺で、早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直のお墓が有ります。その他、秀吉が一夜城で使ったと言われる珍しい茅葺屋根の鐘楼や元祖俳諧人飯尾宗祇の句碑もあり、しばし文学的な雰囲気に浸ってしまいました。

 「早雲寺」から歩いて15分の「箱根湯本駅」は、3連休初日の今日は人出も半端じゃなく、構内は人ごみで溢れかえっていました。私は14時48分の小田急ロマンスカーを予約すると、毎度の旅の友、缶チューハイと蒲鉾を購入し赤ら顔で新宿を目指したのでした。

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