上高地夜行日帰りトレッキング
年月日 2005/07/17(日)
天候 曇り時々晴れ
場所 長野県安曇村上高地
ルート 大正池→(35分)→田代橋→(20分)→河童橋→(10分)→上高地BT→(85分)→明神池→(5分)→明神橋→(5分)→明神館→(60分)→徳澤園→(60分)→明神館→(70分)→上高地BT                                    所要時間5時間50分(休憩時間含まず)
その他 勾配のきつい部分はほとんどありませんが、かなり長時間の歩きになりますので、上高地BTに戻れる時間を常に把握しておいてください。大正池の神秘的な美しさや焼岳、六百山、明神岳、穂高連山の勇壮な山並み、そして梓川、その支流の清らかな流れを眺めつつゆっくりと歩みを進めては如何でしょうか。

詳細地図はこちらから(上高地清水屋ホテル提供)


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スライドショウの開始
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朝靄に煙る「大正池」です。流れ込む土砂で朽ちた立木も年々少なくなっているそうです。
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晴れていれば荒々しい「焼岳」が目の前に見えるはずなのですが。
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「上高地自然研究路」の木道です。気温は18度。しっとりと爽やかな朝の空気です。
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「上高地自然研究路」の木道の下にマガモが2羽。人が近づいても逃げません。
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「焼岳」もうっすらと。目の前をオシドリ(メス)が悠々と。オスは何処に行ったのでしょう。
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「千丈沢」からの「焼岳」です。何ともこのガスが残念です。
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「タテヤマウツボグサ」です。「ウツボグサ」の高山種です。立山の名が付きますが、立山ばかりでなく、各地の亜高山、高山に育ちます。
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「サギスゲ」の群生です。「ワタスゲ」とそっくりですが、「サギスゲ」は、一つの茎に花穂を2個以上付けます。
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「田代池」です。土砂の流入で、今や小川といった風情です。
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「梓川」です。梅雨時の雨を集めて流れが早いです。遥か彼方に穂高連峰の雪渓が。
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「オニシモツケ」の花のようです。湿原や谷川沿いなどの湿った場所に生えます。
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「ノアザミ」です。季節には早いのか種類が違うのか小振りな花が多かったようです。
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「サワギク」のようです。名前に沢と付きますが、沢だけではなく、湿った林の中などに育ちます
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「ニッコウキスゲ」です。正式な名称は「ゼンテイカ」ですが、「ニッコウキスゲ」の方が一般的になっています。
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「梓川」支流の流れに水草の緑がゆったりと揺れて美しい風情です。
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「田代橋」を渡りウェストン碑の方面へ脚を伸ばします。
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英国宣教師ウォルター・ウェストンの碑です。
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人気スポット「河童橋」には今日も多くの人が。
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「河童橋」からの穂高連峰の眺めと梓川の流れです。晴れていないのが残念です。
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一旦「上高地バスターミナル」に戻り、身支度を整えます。
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趣のある「上高地郵便局」の建物です。ATMはあるのかしらん。
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道すがら観光客にお願いして撮って頂いた私です。穂高を入れて欲しかったなァ。
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古代の恐竜でも出てきそうな「岳沢口湿原」の雰囲気です。目の前には六百山の雄姿が。
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山紫水明です。自然の織り成す造形はα波の分泌を促進させます。
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至る所に「岳沢」に端を発する小川が流れていました。その水量の多さには圧倒されます。
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「明神一の池」です。岩魚がまるで鯉のようにのんびり泳ぐ静かな池です。
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「明神一の池」から見る「明神岳」です。左側は「西穂高岳」でしょうか。
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ここは安曇野にある穂高神社の奥宮がある聖域で、池そのものが穂高神社奥宮の一部になっています。
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まるで人工の庭園のような趣の「明神二の池」です。
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自然環境保護のため、生き物に餌をやったり、穂高神社奥宮の一部とは言ってもお賽銭を投げることのないようにしたいものです。
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「クガイソウ」の花です。花ではなく、葉が何段にもつくことから「九蓋草」と呼ばれています。
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「明神橋」です。日も射して暑くなってきました。
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「明神橋」からの「明神岳」です。槍穂のように鋭角の最南峰は印象的です。
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「カワラナデシコ」も花のようです。大和撫子という名前のように、昔から日本にゆかりの花です。
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「ヤマホタルブクロ」の花です。「ホタルブクロ」との違いはがく片が反り返っていないことです。
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「ミヤマザクラ」は葉をすっかり展開してから開花するために、美しくない桜の部類に入れられて損をしていますが、どうしてどうして清楚で美しい花ではありませんか。
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天気も大分回復し、「大天井岳」も「屏風の頭」も遠望できるようになってきました。
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「奥上高地自然探勝路」の終点「徳沢」にある宿「徳澤園」です。
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キャンプ場に腰を下ろして草いきれを感じています。
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主催者から頂戴した弁当を広げます。ふきの煮付けを除いて、何かしらコンビニ弁当と似ていますね。
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「アカツメクサ」の花に蝶が。別名「ムラサキツメクサ」とも言います。
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「リュウキンカ」の花です。花茎が立って、金色の花をつけるので立金花と呼ばれ、湿地や水辺に群生します。
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「キバナヤマオダマキ」の花です。一瞬「レンゲショウマ」と見間違いました。
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「ヤマオダマキ」 の黄色い花の種です。花弁の色はどちらも黄色ですが、ガク片の色が薄い黄色です。
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再び「上高地明神館」に戻って一服します。
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再び脚を進めると「キバナヤマオダマキ」の花が。
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高山種の「 ミヤマオダマキ 」は濃い青紫をしているので見分けがつきます。
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上高地地区に戻ってきました。これは「上高地ビジターセンター」です。
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再び「明神橋」に立って穂高連峰を望みますが、輪郭ははっきりしたとは言え、まだガスが切れません。
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帰路に付く方々が「上高地バスターミナル」に集結し始めています。
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いつしかバス乗り場の前には長蛇の列が。割り込みなどで怒号も飛び交っていました。
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夜7時半です。まだ乗鞍高原です。今から帰路に付くと帰宅は深夜早朝かも。

 「夜行日帰りトレッキング」が猛烈な交通渋滞で「夜行翌々朝帰りトレッキング」になってしまいました。3連休で且つ学生が実質夏休みに入り、且つ又大雨による国道158号線の道路法面の崩落に伴う迂回ルートによる運行が重なって、現地を午後4時に出発した帰路のバスが新宿に到着したのが予定より3時間遅れの翌日0時半です。いやはや難行苦行の「上高地トレッキング」となってしまいました。

 7月16日(土)午後11時に新宿を出発した高速バス「さわやか信州号」は一路「上高地」へ向けて順調に走行を続けます。迂回ルートの影響が若干出たものの、乗り換えた低公害シャトルバスは1時間程度の遅れで、翌17日(日)午前7時に「上高地」へ到着しました。

 私は「上高地」手前の「大正池」で下車し、トレッキングをスタートさせます。「大正池」は大正4年(1915)、「焼岳(やけだけ)」(2455メートル)の大噴火により流れ出した泥流が「梓川(あずさがわ)」をせき止めて誕生した池で、池のあちこちに点在する立ち枯れた木々がその名残です。その「焼岳」は今も活動中ですが、この日は梅雨前線が居座る生憎の曇天でその荒々しい姿を眺めることはできませんでした。その「大正池」も流れ込む土砂によって徐々に面積が縮小しており、懸命に浚渫(しゅんせつ)工事が行われていますが、遠い将来、消滅する可能性をもつ池であるのは寂しい限りです。

 朝靄の中の「大正池」を過ぎ「田代池」を巡ります。「田代池」は「六百山(ろっぴゃくざん)」(2450メートル)や「霞沢岳(かすみさわだけ)」(2646メートル)からの伏流水による小さな池で、ここも台風や大雨による土砂の流入により以前より浅く小さくなったそうで、今や小さな小川といった風情です。

 「田代池」から「田代橋」を渡ると、日本アルプスを命名し、日本の山を著書により世界に知らしめたイギリス人宣教師ウォルター・ウェストンの碑を左手に「河童橋」を目指します。「河童橋」は、「梓川」に架かる「上高地」のシンボル的存在の吊り橋で、橋の上から「奥穂高岳」(3190メートル)、「前穂高岳」(3090メートル)などの穂高連峰の勇壮な景観を眺めることができる「上高地」の絶景ポイントです。生憎の曇天でガスが広がり眺望は良くありませんが、「河童橋」上には数多くの観光客のカメラの砲列ができていました。

 「河童橋」から「上高地バスターミナル」には一旦戻るような格好になりますが、「上高地BT」で主催者から弁当を頂戴し、身支度を整え煙草を燻らせて改めて「明神池」を目指してスタートします。

 再び「河童橋」を渡ると梓川右岸の「河童橋、明神池自然探勝路」を歩きます。探勝路を右折すると間も無く「岳沢口湿原」に入ります。豊かな水量の渓流と水草の繁茂する静かなせせらぎ。雨露に濡れた木々の鮮やかな緑。涼やかな鳥の鳴き声。そして眼前には威容を誇る「六百山」。自然の織り成す光景に暫し足を留めて見入ります。苔むす清流と原生林を抜けると「梓川」に沿って道は「明神池」へと続きます。

 「明神池」は「明神岳(みょうじんだけ)」(2931メートル)から崩落した土砂で「梓川」の一部がせき止められてできた池です。「一の池」と「二の池」からなりますが、特に「二の池」は浮島や岩が点在し、まるで人工の庭園のような趣です。ここには渡りをしないマガモが住み着いており、生態系を壊さぬため餌を与えないようにとの注意があるにもかかわらず、給餌をする大人が居たことは恥ずかしい限りです。

 「明神池」のすぐ傍の「梓川」には「明神橋」が架かっています。「明神橋」を渡り切り振り仰ぐと荒々しい岩峰群の信仰の山「明神岳」がくっきりと稜線を露わにしています。

 「明神橋」を渡ると程なく「上高地明神館」のポイントに着きます。ここは「徳澤」方面と「上高地」方面との分岐になっていて、数多くの観光客やハイカーが昼食を取るなど暫しの休憩を楽しんでいます。ここは家族連れでハイキングを楽しむ方々の最終ポイントらしく、これから先の「徳澤」方面に向かう人はグッと少なくなります。

 私は「上高地明神館」を後にして「徳澤」方面に脚を進めます。道は今までと異なり若干のアップダウンを繰り返すようになります。目の前にあった「梓川」も何時しか眼下に眺められるようになってきます。曇天だった天候も徐々に回復し始め、時折暑い日差しを感じるようになってきました。遠望の穂高連峰も少しく姿を現し始め、流れる汗もTシャツに染みを作り始めました。「穂高」や「涸沢(からさわ)」に登った方々が重装備で下山して来る姿を多く見かけるようになると、そこは「穂高」「涸沢」登山の起点の宿「徳澤園」です。

 『梓川に沿った道を歩いていくと対岸の緑が美しかった。(中略)。そろそろあたりが暗くなり始めた7時頃、かおるは徳澤小屋に着いた。』。このように「徳澤園」は井上靖の小説「氷壁」の舞台となったことでも有名な宿です。「徳澤園」の前は広いキャンプ場になっており、「穂高」や「涸沢」に登った方々のテントでしょうか、数張りのテントが主の帰りを静かに待っています。時間は11時過ぎ。私はここで昼食にすることとしました。草の上にそのまま腰を下ろすと、むせ返るような草いきれの中、主催者から頂戴した弁当を広げたのでした。

 当初の予定では更にこの先の「横尾」まで脚を伸ばす予定としていましたが、往復2時間を要することと、「大正池」到着の1時間遅れと帰りのバスの出発の時間を考慮に入れて、ここ「徳澤園」からUターンすることとしました。

 帰路は「徳澤園」から「上高地明神館」へ戻り、今度は「明神橋」は渡らず「梓川」左岸の「小梨平」を辿って「上高地BT」へ戻ります。天気はいつしか高地にもかかわらずギラギラした太陽が照りつける真夏のような暑い日差しに変わり、若干の熱射病的体調で「大正池」をスタートしてから約6時間後のゴールと相成ったのでした。

 「上高地BT」の前は帰路のシャトルバスを待つ人々で溢れかえっています。帰りは通行止めの国道158号線が開通するまで俄かに仕立てられた、すれ違い運転もままならぬ狭い迂回路「上高地乗鞍スーパー林道」を走ります。ここに「上高地」からの帰りの車と「乗鞍山」観光等からの帰りの車の列が遭遇したからさあ大変。「白骨温泉」付近で前進も後退も出来ないような状況になってしまい、私がやっと乗り込んだシャトルバスもこの渦中に巻き込まれてしまいました。全く動きません、本当に全く動かないのです。通常1時間で走破できるルートに補助席まですし詰めの車中に3時間も閉じ込められ、気分が悪くなったり小意を催す人も出るなど、パニック寸前の車中になったのでした。

 やっとのことで帰りの高速バス「さわやか信州号」の待つ「乗鞍高原」に着いたのが3時間半遅れの19時半です。皆さんシャトルバスを降りるとトイレに駆け込んだのは当然のことでしょう。疲れと空腹のため帰りの高速バスの車中の静かなこと。途中のドライブインでの短時間の休憩中に私は立食い蕎麦をかき込むと後はふて寝です。一路新宿を目指して高速バスは走りますが、どう見積もっても17日中の到着は無理なようです。新宿からの帰宅の足がない方々のために、急遽バスを仮眠場所として提供するなどバス会社側も手を打ちます。当初は17日(日)午後9時半の到着の予定でしたが、高速バスも必死でスピードを上げたのでしょう、想定より1時間早い18日(月)午前0時半にやっと新宿に到着したのでした。

 まだ電車に間に合う方々は先を争ってバスを降ります。私の場合はまだ山手線が動いていましたが、流石に疲労困憊です。若干の甘え気分もあり財布の中身を気にしながら新宿駅前からタクシーを拾って帰路についたのでした。帰れなくなった方々はどうしたのでしょう。やはり車中に泊まったのか気になります。

 さすが日本を代表する山岳観光地と驚いてばかりはいられません。確かに自然環境を守るべく導入したマイカー規制、低公害シャトルバスは十二分に理解できます。しかし、無制限に入れた観光客、ハイカーを帰すべき手立てが非常に後手にまわっているようです。シャトルバスの運行回数の改善、ルートの整備、更には入山者の規制まで含めて検討が必要な気がします。観光業者も物を買ってくれたら、後は勝手に帰ってくれでは、不謹慎の謗り(そしり)を免れないことでしょう。

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