春の息吹を感じる下町ウォーキング
年月日 2006/02/18(土)
天候 晴れ
場所 東京都墨田区東向島
ルート 京成曳舟駅→(30分)→東白鬚公園→(30分)→向島百花園→(40分)→東武浅草駅→(30分)→JR上野駅                                   歩行距離8.5`、所要時間2時間10分(休憩時間含まず)
その他 やっと春の芽生えが感じられる東京の植物園です。念願の節分草にも出会え、のんびりゆっくり東京の下町を歩いてきました。

詳細地図はこちらから(国土地理院提供)


戻る

スライドショウの開始
img0000.jpg
時間も早かったので、遠い駅で降りて目的地までウォーキングです。
img0001.jpg
明治通りを白鬚橋方面へ直進します。
img0002.jpg
白鬚橋手前に東白鬚公園はあります。
img0003.jpg
かなり細長い公園ですが、右手の都営団地が覆い被さるようで圧迫感があります。
img0004.jpg
季節に応じてこんなに多くの花が咲くとは驚きです。
img0005.jpg
隅田川神社では白梅が5分咲き程度でした。
img0006.jpg
梅が終わると本格的な桜の季節ですね。
img0007.jpg
園内にある木母寺(もくぼじ)です。梅若塚とこの古刹の謂れは次の写真で。
img0008.jpg
謡曲「隅田川」と木母寺の謂れです。
img0009.jpg
木母寺の全体像です。近代的に建て替えられています。
img0010.jpg
梅若塚は木母寺境内に移設され、防災のためご覧のようにガラス張りの中に鎮座しています。
img0011.jpg
蝋梅がまだ咲いていました。
img0012.jpg
東京ではもう朽ちる時期なのでしょう。枯れ始めたものが多かったようです。
img0013.jpg
これが白鬚橋です。これを真っ直ぐ行くと、三ノ輪、日暮里方面へ出ます。
img0014.jpg
百花園の最寄りの駅「東向島駅」です。旧地名は昔の青線「玉ノ井」です。
img0015.jpg
向島百花園入口です。何となく落ち着きます。
img0016.jpg
さあ木戸をくぐって中に入りましょう。
img0017.jpg
今日咲いてる花が掲示されています。毎日更新されています。
img0018.jpg
面積は1f。ほぼ正方形ですから縦横100bの園内ですね。
img0019.jpg
園内の様子です。周りは道路ですが、樹木で遮られ案外静かです。
img0020.jpg
ミツマタです。紙幣の原料になる有名な植物ですね。
img0021.jpg
ジンチョウゲです。ほのかな香りが漂ってくるところまではまだいってませんでした。
img0022.jpg
寒ツバキです。冬の寒い時期に咲くのでこの名前が付けられました。
img0023.jpg
白梅です。何と言う種類なのかは。
img0024.jpg
これがお目当て「セツブンソウ」です。高さ5a、花の直径1.5aと言った所でしょうか。
img0025.jpg
寒い時期にこの健気な姿。労わってあげたい気持ちです。
img0026.jpg
石灰質を好む植物ですが、この地に適応したのでしょうね。
img0027.jpg
他の雑草に埋もれるくらい華奢な花です。
img0028.jpg
東京でこれくらい。自生地の多い秩父地方ではもう咲いているでしょうか。
img0029.jpg
フキノトウが元気良く芽吹いていました。
img0030.jpg
何とも威勢が良くて生きてるって感じですね。
img0031.jpg
ボケの蕾です。蕾の色は開いた花より色が濃く味わいがありますね。
img0032.jpg
アセビの蕾です。葉を馬などが食べると酔ったような状態になることからアセビ(馬酔木)の名が付いています。
img0033.jpg
フヨウの種子です。種子を包む殻が五つに割れ、小さな種を飛ばそうとしているところです。
img0034.jpg
マガモが住み着いていました。錦鯉が付かず離れず。
img0035.jpg
フリソデヤナギの蕾です。冬芽が紅色なので別名アカメヤナギとも呼ばれています。
img0036.jpg
フリソデヤナギの新芽です。柔らかそうな綿毛ですね。
img0037.jpg
これもフリソデヤナギの新芽です。抜け出した蕾の殻の部分が如何にもマニキュアみたいですね。
img0038.jpg
ロウバイが相変わらず艶っぽく咲いていました。
img0039.jpg
ここには素心蝋梅しか見かけませんでした。
img0040.jpg
露地もののフクジュソウはまだこんな寂しい状況です。寒い秩父でもあんなに元気良く咲いていたのに。
img0041.jpg
これもフクジュソウ。ただし、管理事務所の鉢植えのものです。
img0042.jpg
何時も赤い実が印象的なセンリョウです。
img0043.jpg
紅梅も咲いていました。まだまだこれからのようです。
img0044.jpg
色の無い世界から鮮やかな色のある世界へと季節は移って行くのですね。
img0045.jpg
園内にある茶店です。品の良い老婦人が一人で応対をしていました。
img0046.jpg
後ろ髪を引かれながらお別れを。
img0047.jpg
白鬚神社にお参りをして帰路に付きます。
img0048.jpg
さあ、ここから隅田川の堤防に沿って歩きます。もう直、花見客でこの堤防も溢れかえるのでしょうね。
img0049.jpg
Xの字型をした桜橋です。
img0050.jpg
ポカポカと暖かく、正面には言問橋が見えます。
img0051.jpg
墨田区役所の広場には勝海舟の銅像が。勝は墨田区両国で生まれたんですものね。
img0052.jpg
吾妻橋からアサヒビールのウンコビルを。実体は金のウンコではなく、炎のモニュメントらしいのですが。
img0053.jpg
浅草の水上バス乗船場です。浅草とお台場方面を結んでいます。
img0054.jpg
電気ブランで有名な浅草の神谷バーです。お昼時じゃなければチョッと一杯。
img0055.jpg
浅草寺門前は記念撮影の人々でごった返していました。
img0056.jpg
このアングル。広角レンズでやっと入りました。
img0057.jpg
仲見世も人人人の波でした。
img0058.jpg
上野に向かう途中、この一帯がかの有名な厨房道具街「かっぱ橋」です。
img0059.jpg
JR上野駅です。映画「三丁目の夕日」ではこの陸橋はまだ無かったですね。

 体調が余り芳しくありません。鎮痛剤を服用して些か顎部の痛みを和らげ、今日は遠出を止めて近場のウォーキングに出かけることにしました。場所は東京墨田区の「向島百花園」です。

 三寒四温の今日は三寒に当たるのでしょう。朝から冷え込んではいますが、一時の猛烈な寒さは既に無く、中綿タイプのジャケットと珍しくGパン姿でウォーキングに臨みます。「向島百花園」の最寄り駅は東武線の「東向島駅」ですが、開園が9時からのため、私は京成線の「京成曳舟駅」で下車し、「向島百花園」を通り過し「東白鬚公園」までウォーキングをして開園時間まで時間を過ごすことにします。

 「東白鬚公園」は墨田区の北端、隅田川に沿うような南北に細長い公園で、緑とレクリエーションの場として昭和61年に開園した都立の公園です。公園の東側には、13階建の都営住宅が10棟ほど立ち並んでいて、歩く姿を常に階上から見下ろされてるようで落ち着きません。公園にはさすがこの時期草花はまだ少ないものの、それでも蝋梅が満開となり白梅がいたる所で咲き始め、それぞれが春の訪れを感じさせてくれています。ところで、この公園内には「木母寺(もくぼじ)」という謡曲が趣味の方々には有名な古刹があります。古刹とは言え近代的に建て替えられていて往時の様子を窺い知ることはできませんが、この古刹の謂れを事前にネットで知り、且つ現地で見た以上、敢えてそのために紙面を割く必要がありそうです。話が若干横道に逸れますがどうかご容赦願います。

 「平安中期の貞元元年(976)3月15日、隅田川のほとりで梅若丸はたった12歳という若さにしてこの世を去った。梅若丸は京の公家吉田少将惟房(これふさ)の子として生まれた。5歳で父と死に別れ、7歳で比叡山に入り修行の日々を送っていたが、言葉巧みな人買いに騙され東国まで連れてこられてしまった。隅田川までたどり着いたところで病に倒れ、一歩も動けなくなった梅若丸は置き去りにされ、この地で12年の短い生涯を閉じた。その時読んだ辞世の句が、『尋ねきて 問わば答えよ都鳥 隅田川原の露と消えぬと』というもの。まだ幼かった梅若丸が母親をしのんで詠んだものであろう。たまたま来あわせた高僧忠円阿闇梨(ちゅうえんあじゃり)が梅若丸を不憫に思い、里人とともに塚を作って手厚く葬り一本の柳を植えた。この梅若塚の供養のために建てられたのが木母寺である。その一年後の命日、里人が梅若塚の供養を行っていると、ひとりの女性があらわれた。この女性こそ梅若丸の母親であり、子供を捜しまわってあちこち旅を続けていた。この地に葬られているのが梅若丸だと知った母親は、塚の前で泣き崩れ、夜通し念仏を唱えはじめた。すると梅若丸の姿があらわれたが、母が声をかけると消えてしまった。母親は悲嘆のあまり仏門に入ったが、その後、池に身を投げて自殺したという。この悲しい物語は、謡曲「隅田川」をはじめ、多くの劇作や小説となった。今も梅若塚がある木母寺では3月15日の命日に梅若忌念仏が行われており、木母寺は迷子捜しにご利益があるともされている。」(『東京の歴史名所を歩く地図』河出書房新社より)

 謡曲「隅田川」など見たことも聞いたことも無い私ですが、たまたま思いついたこのウォーキングがかくも歴史と能楽の勉強になろうとは、これもまたこのお寺様のご利益かと有り難く感謝しているところです。

 ところで、ここでかなり時間を費やしてしまいました。すぐさま踵を返して「東向島駅」まで戻ります。駅前で朝食を取った後、歩いて数分の「向島百花園」に150円を支払って入園します。

 「向島百花園」は文化2年(1805)頃、日本橋で骨董屋を営んでいた佐原鞠塢(さはらきくう)という粋人が、 向島の旧寺島村で元旗本、多賀氏の屋敷跡約3000坪を購入し、鞠塢と親交の深かった一流の文化人たちの協力を得て、文人趣味豊な庭園として創設した現代に残る江戸時代の植物園です。戦災で石碑以外は全て焼失しまったそうですが、 昭和24年に復元され今日に至っています。

 その「向島百花園」は100b四方程度の小さな植物園です。小さいからこそ芽吹きなど直ぐに見つかるだろうと鷹を括っていましたが、それでも最初のうちはなかなか見つけることが出来ず、先週の二の舞かと期待が焦りに変っていくのが感じられます。しかし、目を凝らして探す内にあちらこちらに春の小さな息吹が感じられるではありませんか。今回の目的の可愛らしい「節分草」やゴージャスな「福寿草」、そして柔らかな毛に覆われた「振袖やなぎ」など。まだまだ種類こそ少ないものの、少しずつ季節が変り始めているのが感じられます。

 入園者も徐々に増えていき、お歳を召した方々の団体さんも大挙押し寄せて、さながら園は花を愛でながらの日向ぼっこと井戸端会議の場と化してしまいましたが、それはそれとして実にのんびりしていて微笑ましい光景でした。カメラを構える方々も一眼レフと交換レンズと三脚を重そうに抱えたセミプロ的な人が多く、私も負けじとあちらこちらと飛び回りながら撮り捲ります。彼此1時間程度、果たして園を何周したことでしょう。まだ対面していない芽吹きを探し回りましたが、これからの山歩きでもきっと出逢える筈です。山野草の咲き乱れる里山での出逢いに期待しながら百花園にお暇をしたのでした。

 さあ、後は帰るだけです。最寄りの「東向島駅」から電車に乗り込めば手っ取り早いのですが、天気も良いので隅田川沿いに浅草に出て上野までの約5`を歩いて帰ることにします。桜橋、言問橋を経て吾妻橋を渡り、電気ブランで有名な「神谷バー」を右手に見て浅草寺へ。春の暖かさに誘われて浅草界隈は物凄い人出でおまけにお昼時とも重なり、チョッと一杯どころの騒ぎではありません。仕方なく人ごみを縫って上野まで歩き、珍しく反省会もやらずに午後1時には家に帰りついたのでした。

戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送